第26回 執行弾(3)
暴発 撃てない警官V
暴発 撃てない警官V
第26回 執行弾(3)
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「自転車で巡回に当たっていたとき、たまたま遭遇したんでしたよね?」
 柴崎は訊いた。
 池永は建売り住宅に面した道の先を指さした。公園から離れる方角だ。
「向こうから来て、駐車場に停めてあった車のあいだから、ちらっと見えて」
「すぐ薬物の取引とわかった?」
「ビニールみたいなものが光って。そのあと、右手にいた男が紙幣のようなものをアルマディに渡すのが見えました」
「アルマディと認識できたんですね?」
「やつの姿かたちはよく見ていましたから」
 黒髪がぺったりと頭に張りつき、やや小太りで下腹が出ている。地黒で鷲鼻の顔は遠くからでも視認できるだろう。
 池永はアルマディが住んでいるアパートも把握している。非番時には、それまでにも何度か私服で監視や尾行をしているのだ。
「もう一度確認しますが、五月二十三日以前は、刑事課に報告を上げていませんでしたね?」
「上げていません」
 きっぱりと言う。
 無理もない。いったん情報を受ければ、刑事課としてはそれなりの監視態勢を組まざるを得ない。空振りに終われば、捜査の無駄だし信頼も失ってしまう。ある程度の確度を得た時点で報告したいという心根は十分理解できる。非番に私服で尾行までしていたのだ。その熱意は大いに買うべきだった。
「それで自転車をあのあたりの車の陰に置いて、制帽と上着を脱ぎ自転車の荷台におさめたんですね? 客を尾行するつもりでしたか?」
「制服ではさすがに目立つので、あきらめました。取引を終えたアルマディをやりすごしてから、客が入った公園まで走りました」
「そこから入ったんですね?」二人が取引していたあたりを指した。「公園の中に入ったときは、もう姿が見えなかった?」
「いえ、数秒間は見えました。ちょっと振り返ったような記憶もあります。広場の真ん中あたりでケヤキの木の向こう側に消えてしまって」
 トイレの手前にケヤキの大木がうっそうと葉を茂らせている。
 制服の上着を脱いでいても、帯革に拳銃や警棒をぶらさげているのだから、一目で警官と気づかれたのかもしれない。尾行に気づかれたため、あわててトイレに隠れたのだろう。
「どんな感じのやつでしたか?」
「あれはねえ、まだ三十いってないな。長い髪でよれよれのトレーナーを着て。目を血走らせていましたよ」
「シャブ中に見えました?」
「はい」
「面通しすれば、わかりますよね?」
「はい、おそらく」
 ひとつ間違えば、命まで失いかねなかった事態に遭遇したのだ。人相風体を見誤ることはないだろう。職務熱心な池永の意気に感じ、何としてでも逃げた男を捕まえなければならない。


   3

 翌日。午後二時半。
 人員を増やして捜索と聞き込みに当たったが、執行弾は見つかっていない。埼玉県警も同様に増員したようだが、発見の報は届かない。ひとまず、捜索を終えて柴崎は帰署した。
 その足で取調室のとなりにある隠し部屋に入った。六畳ほどのスペースだ。蛍光灯の明かりはついていない。大きくとられた窓から隣室との壁のちょうど胸元あたりに、縦五十センチ、横一メートルほどのマジックミラーが取りつけられている。ふだんはカーテンで閉められているが、いま、坂元署長はミラーと接するように立ち、上河内がその後ろの壁に張りついてアルマディの取り調べを見ていた。取調官は銃器薬物対策係の稲村巡査部長。薬物犯罪に詳しいベテランだ。
 アルマディはふっくらした頬に無精ヒゲを生やし、落ちくぼんだ目で稲村とその横にいるヒジャブを頭から被った女性通訳に代わる代わる目をやっている。
「……もう一度訊くよ。この覚せい剤は誰からもらったの?」
 一語一語ゆっくりと稲村が話す。
 そのたび、ペルシャ語で通訳が声をかけた。
 ハムンソバ……
 ぼそぼそと返すのを通訳が日本語に翻訳する。
「友だちからもらいました、と言っています」
「それは聞いているから、名前だよ。どこの何ていう人? イラン人?」
 翻訳された言葉に対して、アルマディがゆっくりした口調で答える。それを通訳が翻訳する。
 そのたび、坂元が身を乗り出す。
「イラン人かどうかわかりませんが、日本人じゃありません」
 堂々めぐりだと柴崎は思った。
 覚醒剤の所持と譲渡は認めているものの、肝心の入手ルートについては答えをずっとはぐらかしている。
「一発どやしつけてやるか」
 あくびをかみ殺しながら、壁にもたれかかっていた上河内が言った。昨日と同じ細身のパンツに紺のブレザーを着ている。
「お好きにしてください」
 坂元が冗談交じりに言う。
「そうですか、どれ」
 壁から身を離したので、あわてて制している。
 この男ならやりかねない。
「やつのアパートから覚せい剤以外の薬物は見つかりましたか?」
 その横に立ち柴崎は訊いた。
「いや、出とらん」
「珍しいですね」
 イラン人の密売人は覚せい剤のみならず、コカインや大麻なども取り扱う事例が多い。密売組織は首領の下、本国の出身地別に分かれて電話の受付や薬物の保管などを行っている。それなりにしっかりした組織なのだ。
「末端の売人(プッシャー)のようですね」坂元がアルマディを見ながら言った。「アパートの名義人は名前を貸していただけで、彼が入居しているのも知らなかったみたいです」そこまで言って、柴崎を振り返る。「弾は見つかりましたか?」
 柴崎は姿勢を正した。
「延べ十五人で捜索範囲を八潮駅のすぐ南側まで広げましたが見つかりません」
「ご近所で発砲音を聞きつけた人は?」
「いません」
「あの場所なら無理かな。了解しました。中止しましょう。埼玉県警にはわたしからお礼を伝えます。刑事部長にもその旨報告しておきます」
 そう言うと険しい顔付きで正面を向いた。
「池永さんが目撃した客はわかりましたか?」
 横を向き、上河内に訊いた。
「いや」
 上河内は顔に諦め色を浮かべて言う。
「取引自体は認めていると聞きましたけど」
 マジックミラーに近づきながら、
「譲渡は認めてる。そいつ、電話ではタナカと名乗ったらしいぜ」
 と上河内はもったいぶって答える。
「アマルディの携帯にかかってきたときに?」
「ああ。今朝いちばんで携帯の通信記録が取れた」
「早いですね」
 通信会社への照会は、手間がかかることが多い。
 今回は刑事課長の浅井が、何度も会社にせっついて、最優先でやらせたのだろう。

プロフィール
安東能明
1956(昭和31)年静岡県生れ。明治大学政経学部卒。浜松市役所勤務の傍ら、1994(平成6)年『死が舞い降りた』で日本推理サスペンス大賞優秀賞を受賞し創作活動に入る。2000年『鬼子母神』でホラーサスペンス大賞特別賞を受賞する。2010年『撃てない警官』所収の「随監」で日本推理作家協会賞(短編部門)受賞。『強奪 箱根駅伝』『螺旋宮』『潜行捜査』『聖域捜査』『第II捜査官』『出署せず』『侵食捜査』『ソウル行最終便』『伴連れ』「CAドラゴン」シリーズなど、緻密な取材に裏付けられたサスペンス、警察小説で注目を集めている。