第18回 衝突(7)
暴発 撃てない警官V
暴発 撃てない警官V
第18回 衝突(7)
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 翌日。
 昼休みで食堂から帰ってきた警務係長の根木(ねぎ)が、ポーカーフェイスで目配せしてきた。その方向を見ると、カウンターからこちらを覗き込んでいる上河内と目が合った。
 きょうはストライプ柄のスーツに赤いネクタイをしている。ベージュのチノパンと合わせており、カジュアルな雰囲気を醸し出していた。
 来いと右手で合図を送ってくる。
 昨日の物損事故で現場にいた男女が気にかかっていた。ノートPCに表示させた警察協議会用の資料を閉じて電源を落とし、根木にちょっと出てきますと声をかけて裏口に出向いた。
 盗犯捜査第二係の高野朋美(たかのともみ)巡査がハンドルを握るアスリートがすぐ前に停まっていた。左手の後部座席から上河内が顔を覗かせている。回り込んでその横に乗った。
「でしょう」
 思わせぶりに高野が言いながら発進させた。
 革製のハンドルを小気味よく回し、本通りに進入する。
 上河内と合わせたみたいに、ベージュのイージーパンツにタートルニットという軽装だ。
「きょうは来てくれないと思ったけどな」
 上河内が高野に声をかけている。
 自分が来る、来ないでやりとりしていたようだ。
「捜査が本格化するわけですね?」
 皮肉っぽく言ってみる。
「そんな大それたもんじゃないよ、な、高野ちゃん」
 親戚の子どもに呼びかけるような口調だ。
 高野はまんざらでもないらしく、
「わたしもちょっと興味が湧いてきまして」
 だったら、この自分が出る幕ではないじゃないかと口に出かかった。
「梅島の窃盗はいいのか?」
 梅島のオフィスビルの事務所に何者かが侵入し、現金や財布を盗んだ事件が発生したばかりだ。
「係長の了解を得ましたから、大丈夫です」
「こっちからお願いしたわけじゃないよ、柴やん。彼女からの申し出だし」
 どちらでもいいと思った。どうせ、上河内が裏で圧力をかけたに決まっている。
「せめて塗膜片が見つかっていれば」柴崎は言った。「防犯カメラの映像の収集は、はかどっていないみたいですね」
 交通捜査係の秋山がしぶしぶ引き受けてくれたようだが、さほど人を割いていないようだ。
 黒い本革シートで統一された車内から、新車の匂いを漂ってくる。警察無線が取りつけられているものの、コンソールのスイッチや装備類は少なめだ。助手席のサイドポケットには上河内のものらしいCDが挟み込まれていた。
「また現場に行くんですか?」
 聞き込みの続きをする気なのだろう。
 しかし、高野は環七通りを西に向かって車を走らせていた。綾瀬駅の方角ではない。
 梅島陸橋の交差点が近づいてくる。
「タクシー会社だよ」
 ごく当然というふうに上河内が言った。
「……コンビニ前で女が電話したのはタクシー会社だと思ってるんですか?」
「男の様子、変だったろ」
 思わせぶりな口調で言う。
「怪我を負ったので、タクシーを呼んだと?」
「そうに決まってるじゃん」
 男は立って歩いてはいたが、たしかに不自然な感じはあった。
 救急車を呼ぶ必要はない程度だったのかもしれないが、衝突に巻き込まれたとしたら、それなりの深手を負った可能性もある。
 家族なり知人などに迎えに来てもらうこともできただろうが、上河内はその選択はしなかったとみているようだ。
 女が電話したコンビニから東へ百メートル行けば綾瀬駅がある。駅北側にタクシー乗り場があるが、ふたりはその逆の方角へ消えていった。人目に触れたくなかったのだろうか。
 女がスマホを持っていたなら、タクシー会社はすぐに検索できたはずだ。
 そのままスマホから電話しなかったのは、身分を明かしたくないと判断したためだった――。とすれば、ふたりはどのような間柄なのか。
 高野が交差点を左にとった。
「これから、しらみつぶしですか?」
 管内だけでも大小、十を超えるタクシー会社がある。足立区全体なら、その三倍になるだろう。物損事故の現場は葛飾区境になるから、葛飾区内の社も考慮に入れなくてはならない。そうなれば、五十近くまで増える。
「しらみつぶし以外に手があるかい?」
「いや、思いつきません」
 女がタクシー会社に電話したという確証はないが、手がかりのひとつにはなる。それにしても、手間がかかる。やはり、きょうはついてくるべきではなかった。
 そんな憂いを察したように上河内がこちらを振り返った。
「大丈夫だよ。知能犯の連中にも聞き込みをやらせてるから」
 強行犯捜査係は手一杯なので、そうさせたのだろう。しかし、管内では高額な振り込め詐欺の被害者が出ており、知能犯捜査係もそちらの捜査で忙しいのではないか。
 足立区役所を通りすぎる。しばらくいくと、LPGスタンドが併設された三階建ての巨大なタクシー会社の社屋が見えてきた。二階建ての車両駐車場も連なっている。黄色いタクシーが五台ほど並んでいる。
 社屋の前で車を停めると、高野は「のちほど」と言い残し、そのまま走り去っていった。
 すぐ近くにある二番手の規模のタクシー会社に単独で聞き込みに行くのだ。
 上河内とともに一階の事務所に入った。女子職員に身分を明かし、担当者に取りついでもらう。パーティションで仕切られた向こう側に、配車センターがあるらしく、ひっきりなしに無線連絡をしている女性の声が聞こえてくる。そこから制服を着た五十前後の男が姿を見せた。配車担当責任者の岡部と申しますと男が言った。
 上河内が手早く用件を伝え、コンビニの住所を記したメモを渡すと、岡部の顔に困惑の色が広がった。
「五月七日の午前零時ですか……」
 ちょっと待ってくれと言い残し、岡部はパーティションの向こうに消えた。
 しばらくして戻ってきた岡部は、頭をかきながら、
「その時間帯にこちらに向かわせたタクシーはおりませんでした」
 用済みとばかりにメモを寄こす。
 礼を言って事務所を出た。
 しばらく待っていると、高野が運転するセダンがやって来た。
「やけに早かったじゃない?」
 乗り込むなり、上河内が訊いた。
「近くでしたし」高野が好奇心たっぷりの顔で振り返る。「いかがでしたか?」
「空振り、そっちは?」
「同じくです。次に行きましょう」
 溌剌(はつらつ)とした顔で前を向き、アクセルを踏み込む。
「いいねえ、その意気その意気」
 いったいこれから何社回る気だろう。
「三人で手分けしましょうか?」
 高野に訊かれた上河内は住宅地図をパラパラめくりながら、
「それもいいな。どうする?」
 と柴崎に訊いてくる。
「けっこうですよ」
 乗りかかった舟だし、早くすませたかった。
「やる気、出てきたみたいじゃん。あんがい、早く片づくかもよ。な?」
「はい」
 少しも苦ではなく、楽しげに答える高野だった。


プロフィール
安東能明
1956(昭和31)年静岡県生れ。明治大学政経学部卒。浜松市役所勤務の傍ら、1994(平成6)年『死が舞い降りた』で日本推理サスペンス大賞優秀賞を受賞し創作活動に入る。2000年『鬼子母神』でホラーサスペンス大賞特別賞を受賞する。2010年『撃てない警官』所収の「随監」で日本推理作家協会賞(短編部門)受賞。『強奪 箱根駅伝』『螺旋宮』『潜行捜査』『聖域捜査』『第II捜査官』『出署せず』『侵食捜査』『ソウル行最終便』『伴連れ』「CAドラゴン」シリーズなど、緻密な取材に裏付けられたサスペンス、警察小説で注目を集めている。