第17回 衝突(6)
暴発 撃てない警官V
暴発 撃てない警官V
第17回 衝突(6)
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 テーブルに小皿を並び終えた妻の雪乃(ゆきの)が目の前に座った。
「珍しいわね。遅くなるって電話くれなかったし」
 いつもより眠たげな顔で声をかけられる。
「また捜査に駆り出されてさ」
 柴崎は答えた。
 牛肉のしぐれ煮を肴に、ビールを流し込む。
 あれから、署に戻ると六時近かった。残った自分の仕事をすませて、北綾瀬駅から電車に乗ったときには、午後七時を回っていたのだ。かいつまんで、道路標識の物損事故や上河内の人となりについて話す。
「怪しいふたり組ね。地元の人じゃなさそう」
 雪乃が言った。
「かもしれんな」
「会社から帰宅途中としても、遅すぎるし。どこから来たのかしら」
「さっぱりわからんよ」
 一帯は住宅街で、オフィスや工場のようなものはない。
「ひき殺されそうになっても、警察に訴えなかったのは、やっぱりクスリでもやってたからじゃないの?」
「その可能性はあるな。誰にやられたと思う?」
「わからないわよ」テレビのニュース番組を見ながら、雪乃はハーブティをすする。「それにしても、上河内さんて変わった刑事さんね」
「あんな人、初めてだよ」
「福岡のどこ?」
「天神だって」
 実家は新天町(しんてんちょう)アーケード商店街にある複合ビルの地主だと歓迎会で聞いた。
「いいところのボンボンなのね」
「ああ、次男坊」
 高校は福岡県一の進学校だが、学校をさぼり東京の二流私大の法学部を出ている。九州出身の警官は多く、珍しくはない。
「苦労させられそうね。そうそう、岩城(いわき)さんていう人はどうなの? もう落ち着いた?」
「そっちは大丈夫」
 当面は引き当たりの戒護員をさせながら、事務仕事に慣れてもらう腹づもりでいる。いずれ留置場に関わる仕事に就いてもらうときも来るだろう。
「眠れてるか?」
 このところ、雪乃は眠りが浅いらしく、夕方以降はカフェインの入ったお茶などは避けているのだ。
「まあね」
「健康診断の申請を出そうか?」
 申請を出せば、共済組合が一定金額を補助する受診券がもらえるのだ。
「いずれね」
 顔色はさほど悪くないので、季節的な問題かもしれない。それでも、心配ではある。
 二階から下りてきた長男の克己(かつみ)が冷蔵庫を物色して、ペットボトルのコーラを並々とコップに注ぐ。
「寝る前に飲んじゃ太るぞ」
 柴崎が声をかける。
「平気平気」
 言いながら口をつけ、テーブルにあったポテトチップの封を開けて、二、三枚を旨そうにほうばる。
「部活は慣れたか?」
「うん、まあ」
 親しい友人に誘われて、三月の春休みから硬式テニス部に入ったのだ。
 同級生とは一年間のブランクがあるが、もともと運動は好きな質だったから、さほど苦にはならないかもしれない。
「早く起きてよ」
 雪乃が言った。
「明日は朝練ないよ」
 ぶすっと口にし、コップとポテトチップを持ったまま、二階に駆け上がっていく。
「練習、厳しいんだろ。いつまで続くかな?」
 関心のなさそうな雪乃に訊いた。
「どうかしらね」
 どちらでもいいふうに答える。
 いっとき、口もきかない時期があったが、最近はそこそこにコミュニケーションを取るようになってきた。しかし、また元に戻ったのだろうか。
「ケンカでもしたのか?」
「しないわよ」
 心外とばかり片方の顔をゆがめ、音をたててティカップを置く。
「ああ、そうか……」
「あなたの言い方が仕事っぽくて」雪乃は何か思いついたようにこちらを見た。「その男女は何をしていたのかな?」
 飲みかけのビールを口から離した。
「さあな」
 残った半分ほどをひと息に流し込む。
「でも上河内さんて、ずいぶん熱心ね。その人、捜査二課の前は一課にいたんでしょ?」
「その前は渋谷警察署の刑事課」
「ふーん、それで二課に来たわけか」
「デスク主任だった」
 現場から情報を吸い上げ、捜査の筋道をつける参謀役だ。それを一年務め、警部試験に合格した。そして、昇任配置で今回綾瀬署に着任したのだ。
「いまにしくじるタイプだよ」
「どうして?」
「民間人とのつきあいが多いし」
「それで、しくじるとは限らないわよ。二課にいたんだったら、外部の人間とも自然と親しくなるだろうし」
「そんなに長くいたわけじゃないけどな」
 捜査二課の在籍期間は四年だから、長いほうではない。
 詐欺や贈収賄事件を手がける部署だけに、民間人とのパイプは多く持っているだろう。有力者とのつきあいもあるはずだ。月島のマンションで妻とふたり暮らしだ。夏休みの長期休暇には、必ず軽井沢の友人の別荘とやらに行くらしい。
「年度の切り替えのときは大変よね。中田(なかだ)課長は六方面本部の本部長になったんでしょ? 何だか、嫌な予感がするけど」
「別に、関係ないよ」
 二年前の五月、柴崎が本部の総務部企画課に在籍していたときの課長だ。子飼いの刑事が陰で画策して、柴崎の部下を拳銃自殺に追いやった。その人間を操ったのが中田なのだ。
「だって、六方面は綾瀬署を管轄するんでしょ? 監査とか、いろいろ意地悪されるんじゃない?」
「そんなことないって。せいぜい、管内の柔剣道大会で顔を合わせる程度だろ」
「そうかなあ……」雪乃はまたテレビに向いた。「明日もまた上河内さんにつきあって聞き込みをするの?」
「しない、しない」
 そんなものにまで関わっていたら、とても自分の仕事がこなせない。
「そうよね、刑事課の部下だっているんだし」
「何もないことを願いたいよ」
 別れ際に交わした会話を思い出し、酒の酔いが少しばかり失せた。


プロフィール
安東能明
1956(昭和31)年静岡県生れ。明治大学政経学部卒。浜松市役所勤務の傍ら、1994(平成6)年『死が舞い降りた』で日本推理サスペンス大賞優秀賞を受賞し創作活動に入る。2000年『鬼子母神』でホラーサスペンス大賞特別賞を受賞する。2010年『撃てない警官』所収の「随監」で日本推理作家協会賞(短編部門)受賞。『強奪 箱根駅伝』『螺旋宮』『潜行捜査』『聖域捜査』『第II捜査官』『出署せず』『侵食捜査』『ソウル行最終便』『伴連れ』「CAドラゴン」シリーズなど、緻密な取材に裏付けられたサスペンス、警察小説で注目を集めている。