第10回 罰法(10)
暴発 撃てない警官V
暴発 撃てない警官V
第10回 罰法(10)
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   7

 始業時刻前から岩城は表計算ソフトの教則本を広げ、ノートPCにかじりついていた。もっとわかりやすい本が図書コーナーにありますからと声をかけ、食堂横の休息室に連れてゆく。壁一面に並んだ本に首っ引きになって、一冊ずつ手に取っては眺める岩城に、
「独学じゃなかなか難しいですから、来月あたり研修に行ってみますか?」
「そうですね、助かります」
 さほど頼りにしてはいない口ぶりだ。
「ひとつ、お願いしたいことができました」
 柴崎が口にすると、岩城は怪訝そうな顔で振り返った。
 やがて、あらためて岩城とともに教則本を手に取り、中を見る。
 柴崎にはどれも理解できる内容だったが、岩城にとっては未知の世界のはずだった。
 それでもこの局面を乗り越えていかなければならない。
 まだ在職期間は数年間残っているのだ。
 開いた頁にある小難しい関数を見ていると、ふとひらめいた。
 二冊ほど選びだした岩城とともに課に戻った。
 警務係の平岩に勤務表を持ってくるように依頼した。
 しばらくしてそれが手元に届いた。該当する日のページを開ける。
 思ったとおりの名前が記されてあった。


   8

 四日後。
 九時前、小本係長を一階の小部屋に呼び上げた。警戒心をあらわにした目つきは相変わらずで、座るようにすすめるとコショウを吸い込んだように鼻を歪ませた。
「昨日はお疲れ様でした」
 柴崎は声をかけた。
 またかというような顔で、
「捜査費はかかってねえ。安心しろ」
 と応じた。
 昨日も引き当たり捜査で、小松川方面に川地を連れ出しているのだ。
 出かける前、刑事課長から預かった金は、五百円足らずの昼食代だけだったはずである。
「まだ予算はありますから、ご心配無用です。きょう来て頂いたのはそれについてです」
 小本は両手を机上に置き、反り返るように息をひとつ大きく吸った。
「何遍も連れ出したから疑っているのか?」
 ごつごつした手を合わせ、ぎゅっと握りしめた。
 どこからでも来いという顔付きだ。
「心当たりでもありますか?」
 つい意地悪い言葉を発してしまう。
「言うことがあるなら、さっさとやってくれ」
 PCで作成した一枚のペーパーを眼前に滑らせる。
 さっとすくい上げ、目を通すとこちらに返してよこした。
 引き当たり捜査に出向いた折の、川地に対する便宜供与の実態が事細かく記されている。青山から聞き取ったものだ。
「間違いありませんね?」
 小本は微動だにしなかった。
「脅したな?」
「何の話です?」
「青山だ。このままじゃ刑事どころか、馘(くび)がかかってくるぞと言って脅したろ」
「言いがかりはやめてくれませんか」
 ぐっと前のめりになり、小本は上目遣いになった。
「ぜんたい、こんなものをどうする気だ?」
「ごらんのとおり、事実関係の列挙です」背筋をぴんと張り続ける。「認めたらどうですか?」
 目を据えて、こちらを睨みつける。
「……腹いせか?」
「私情で進めているつもりなどないですよ」
 つい言い訳めいた口調になってしまった。
 小本は値踏みするような顔で身を引いた。
「捜査を邪魔してそれほど面白いか?」
 突き放すように言われたので、間髪を入れず言い返した。
「これに基づいて調査を開始しますが、どうされますか? お認めになって申告すれば心証が良くなる」
「どっちがワルなんだ」
 目を剥いてつぶやく。
「川地をコンビニに連れていって、チーズケーキを食わせ、愛人をこっそり引き当たり先に呼んでおいて、顔を見せる。どう見ても行き過ぎています」
 捜査情報の漏洩は懲戒処分はおろか、逮捕されても仕方がないのだ。
 肝を据えたように、小本は不敵な笑みを浮かべた。
「何もわかっちゃいねえな。おれたちドロ刑がどんだけ苦心して口を割らせてるか」
 まだ引き下がる様子はない。
「わたしが申し上げているのは、法令の遵守です」
 小本は握りしめた拳で机を叩いた。
「最近刑事の真似事をして調子に乗ってるらしいが、てめえたち警務は、仲間の足をひっぱることしか頭にねぇ。やれるもんならやってみやがれ」
 むっと来た。
「この件はとりあえず置きます」柴崎は言った。「四月十六日水曜日、あなた、宿直当番で警務課にいましたね」
 刑事課や生活安全課の宿直当番員は、一階の警務課で一晩待機するのだ。
 小本の目に狼狽の色が走った。
「あなたは遅番で、仮眠を取ってから、夜の十二時過ぎに下りてきた。ちょうど交代で、人はいなかった。……その時、何をしました?」
「何って……」
 これまでとは違い、防御線を張りだした。
「警務課のシマで、ひとつだけ書類が積まれている机があった。岩城さんの机ですよ。そこにあった統計原票の写しにあなたは気づいた」
 小首を傾げ、目線を外した。
「いちばん上側に、あなたの係が担当する窃盗犯の事細かな統計が積まれていた。そこをめくると特別法犯の統計が目にとまった。あなたは覚せい剤取締法違反件数の数字の下一桁を八に書き換えた」
 穴の開くような目で見つめてきた。
 どうしてわかったのか、という顔付きだ。

プロフィール
安東能明
1956(昭和31)年静岡県生れ。明治大学政経学部卒。浜松市役所勤務の傍ら、1994(平成6)年『死が舞い降りた』で日本推理サスペンス大賞優秀賞を受賞し創作活動に入る。2000年『鬼子母神』でホラーサスペンス大賞特別賞を受賞する。2010年『撃てない警官』所収の「随監」で日本推理作家協会賞(短編部門)受賞。『強奪 箱根駅伝』『螺旋宮』『潜行捜査』『聖域捜査』『第II捜査官』『出署せず』『侵食捜査』『ソウル行最終便』『伴連れ』「CAドラゴン」シリーズなど、緻密な取材に裏付けられたサスペンス、警察小説で注目を集めている。